シンプルな家ができるまでの、遠まわりな話

The Long Way to a Simple House

お久しぶりです、佐藤です。
しばらくブログが空いてしまいましたが、また少しずつ書いていこうと思います。今日は、家のかたちについて、少し考えてみたことをお伝えしたいと思います。

長くものをつくっていると、形がだんだん単純になっていくことに気づきます。
最初は、そうじゃなかった。高さを変えたり、部品をつけたり、囲ってみたり、飛び出させてみたり。にぎやかに、あれこれ手を加えては「これでいいのか?」と自分に問いかけていました。

それでも、そういう時期につくった建築には、ある種の勢いがありました。
理屈よりも、楽しさが前に出ていた気がします。もちろん、理屈がなかったわけではありません。でも、当時はそれを超える何かがあった。今思えば、あれはあれで、必要な遠まわりだったのだと思います。

年齢を重ねていくうちに、自分の中に何かしらの「かたちの感覚」ができてきます。
それはルールのようでいて、そうではない。守らなければいけないものではないけれど、自然と従ってしまうような感覚です。

たとえば、「なるべく少ない線で表現できるほうがいい」と思うようになりました。
限られた線で表現できることが増えてきて、そこに自由を感じるようになります。
誰かに「いやいや、まだ無駄が多いよ」と言われれば、それはそれで仕方ないのですが、それでもシンプルな方向へと向かう傾向は、なんとなく実感としてあります。

もちろん、単純なものが良くて、複雑なものが悪いというわけではありません。
それぞれに良さがあって、その時々にしか出せないかたちというのが、確かにあるように思います。

だから、いま大事にしているのは、「正直であること」です。
派手さを追わなくなった今でも、何か新しいことをやりたいと思う気持ちはあります。
でも、それはもう、昔のようなやり方ではなく、もっと静かな方法でできる気がします。

シンプルな家をつくるのには、案外時間がかかるものなのかもしれません。
いろんな道を通って、ようやく戻ってくる場所。そんな感じがしています。
佐藤隆幸

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佐藤隆幸

佐藤隆幸

美大で油絵を学んで、手伝いのつもりで入った設計事務所の先生が茶道の名人。茶室の真髄を目の当たりにして(驚愕して!)そのまま建築設計の道へ。 モネもフェルメールも等伯も、バウハウスも現代建築家の諸作品も、僕にとっては同じ地平にあります。 住宅建築で大切なことは、調和とバランス。内と外の関係性。日常と非日常をゆるやかに結びつけるための調和であり、私たちの暮らしが豊かなものになるために関係性をデザインすることは、とても重要なことなのです。 玄関へ向かう路地は、日常から非日常へ移行するハレの空間。リビングから見える緑や眺望は、何ものにも代えがたい生活の宝物です。 住宅設計に携わって30年余り。大分から大阪へやって参りました。休日に京都の古寺を歩くのが楽しみで、クラシックの古いレコードも楽しみのひとつ。根っからの活字人間なので 谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」がmilestoneです。